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34歳の目標。

みんなが休み時期に忙しくなる因果な商売・インフラ系エンジニア。
今年の夏ももちろん仕事ざんまい。

なので、久しぶりの更新です。

去る8月27日に34歳になりました。


誕生日ケーキ。大好きなル・パティシエ ヨコヤマで買ってもらいました。

33歳はどういう年だったかと振り返ると、「安定していた」ということになるでしょうか。

ここ数年、出産だとか転職だとか家を買うだとかビッグイベントが1年にいっぺんくらいはありましたが、
今年は本当につつがなく過ごせました。平安でした。

で、34歳。四捨五入して30歳である最後の年。
そろそろ40代を見据えて生きていかなければ、と思い始めてきてます。

で、「自分はどう生きたいのか」を考えた結果、「やっぱりオレの会社作るしかない」ってところに辿りつきました。(経緯は省略しますが、いずれ語りたいです)。

家族もいるので今の会社をいきなり辞めたりはしないですが、LLPかLLCを設立して副業ってところから始めよう、とか考えてます。

ということで、34歳にやることリストの最重要科目に「会社を作る」がリストアップされましたよ。

あれ? でもウチの会社、副業OKだっけ? 
これは確認だな。後にトラブルになっても困るし。

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投票と、父との思い出

 おとといの金曜日に有給休暇をとって、息子とふたりで『ウォーキング・ウィズ・ダイナソー』横浜公演を見に行った!…となるはずだったのですが、どうしても外せない仕事が発生してしまい、行けず。
 残念至極。
 もうホント無念。

 嫁が仕事を休んで石之介の代わりに行ってくれたので、息子的には大満足だったようです。
(嫁は「凄かった! でも途中少し眠くなった」とのこと。コラー! まあ、キミは恐竜にそこまで興味ないもんね)

 で、その代わり(?)に今日は参院選の投票に息子と娘を連れて行きました。
 散歩がてら投票所の幕張西小学校に。

 そして、投票所で候補者の名前を書いていたら、息子がそれを覗き見て「○○ってなーに?」と大声で候補者の名前を言い始めやがりました。
(最近の候補者は名前をひらがなにしたりしてるから読めちゃうんですね。)

「お前、大声で言うんじゃないよ!」と息子を諭したときに、ある記憶がフラッシュバック!

 それは自分が小さかった頃に父親に連れられて選挙に行った記憶。

 父親が書いた候補者か党の名前だかを、「○○?」と大声で言う幼少の頃の私。
 自分も父に同じ事をしていたんだ。

 で、その時なぜか父から
「言うな。人に聞かれたら逮捕されるぞ」と言われたのを覚えています。

 いまでこそ、それは冗談だということがわかるんですが、当時は選挙のことをよくわかってなかったので「選挙ってえらく深刻なことなんだな」と思っていた次第でございます。
(まあ、実際深刻なことなんですけども)

 選挙速報でも見ながら実家の父に電話でもしようかなって気持ちになりました。

●追記

 せっかくなので、実家の父に電話してみました!

「今日、息子が言っちゃってさー」
「お前、逮捕されるぞ」

 二十数年前とおなじ冗談言った!

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滞っていた理由

 久しぶりの更新です。
 一ヶ月ぶりとなります。
 
 なぜこんなに滞ってしまったかというと、単純すぎてアレなのですがここのところかなり激務だった、というのが理由の一つです。
 神経を尖らせなければいけない作業が連日続いて、精神的な疲労で参ってしまっていたのです。
 
 それも先週までのこと。
 ようやく落ち着きました。
 
 落ち着いた、と言ってもそれは仕事のことで、気持ち的にはまだ落ち着かないのです。
 
 というのも、激務スケジュールが始まる直前、青森に住む祖父が他界したのです。
 
 もちろん悲しくはあったのですが、90歳を超える高齢だったので、悔恨を念を残すような旅立ちではありませんでした。
 葬儀は当然青森で行われる運びとなりましたが、雪の季節の青森ということで、まだ幼い娘(とヨメ)は置いて行くことにして、息子だけを連れて参加しました。
 
 この『祖父の葬儀と息子との里帰り』を通していろいろと思うところがあり、もしかしたら精神的な部分で人生の転機だったのではないかな、と感じることがありまして。
 で、ちょっとネットから距離を置いていたのです。

 これもブログ更新が滞っていたもう一つの理由です。

(単純に凹んでいただけかもしれませんが)

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カードゲーム大会と新年会

 土曜日はたくさんの人と会いました。

 まず、かつての上司であるカズキさんが不定期で主催しているカードゲームの会に参加。

 自分は少し遅れて参加したのですが、うわさの『タブラの狼』には間に合いました。

『タブラの狼』は参加者それぞれが一つずつ役割(村人とか予言者とか、あと人狼)をになって、村人に紛れ込んでいる人狼を退治する、というゲームなのですが、コレが面白い。
 カードゲームというより、心理戦?
 人を疑いつつ自分が疑われないようにする、という日常生活ではあまりない体験ができます。

 ほとんどの方とは初対面なのに疑ったり疑われたり。
 人となりを知って行くともっと面白くなって行くのかも。 

 で、その後、飲み会があったのですが、申し訳ないですが不参加。
 なぜなら、別のグループの飲み会が予定されていたからなのです。

『別のグループ』と言っても、もともと全員カズキさんの部下だったメンバー。
 今はもうない、ある週刊誌を一緒に作っていた仲間たちです。

 ということで、上野でそちらのメンバーと合流。
 一次会は角ハイボールで酔っぱらい、そのまま二次会へ。
 何を話したのかあまり思い出せないのですが、なんだか楽しかったという記憶だけしっかりあります。
 二次会なんて何年ぶりかなー。

 帰りは終電まであと一本というギリギリぶり。
 
 非常に充実した一日でしたよ。

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思い出の公園で、足をくじく

 引き続きお正月の時の話です。
 しつこくてゴメンナサイ。
 
 12/31〜1/1は生まれ故郷の東京都昭島市で過ごしたのですが、子供たちはまだ「お正月」を理解していないので、「お外で遊びたい」モードになってしまいました。

 おじいちゃん(石之介の実父)と一緒に昭和公園(昭和記念公園じゃないよ!)に行くも、駐車場に入れず。

 その代わりに、と多摩川の河川敷に行ったのですが、息子は「すべり台がない!」と怒りだす始末。
 
 どうしたもんかな、と思って辺りを見回しているうちに幼い頃の思い出が急にわき上がってきました。
 
 土手の向うに見える下水処理場みたいなところの近くに、公園があったはずだ!
 むかし「アスレチック公園」と呼んでいた公園が。
 
 行ってみると確かにありました。
「アスレチック公園」が。

 正式名称は「宮沢広場」っていうらしい。
 この辺です。googleマップには公園名の記載はないけど。


大きな地図で見る
 
 ここは木製の遊具がたくさんあって、こどもが遊ぶにはもってこいなのです。
 
 こどもたちも大はしゃぎ。

 そうだ。ウチからはちょっと遠いから、この公園には自転車で来てたんだな。
 などと思い出しながら、遊ぶ子供たちを見ていました。
 自分が小さい頃遊んでいた公園で、自分の子供たちが遊ぶことになるとは想像しなかったな。
 

 ▲念願のすべり台。


 ▲ムスメは逆走ばっかりする。
 

 ▲バランスを取りながら渡る遊具。
 
 この公園の目玉は、ターザンロープ。
 すこし高いところに張られたロープを、滑車に乗っかってターザンのように滑空するという遊具です。
(写真撮り忘れちゃった)
 
 ひさしぶりなので石之介もはしゃいで、早速トライ。
 でも、日頃の運動不足がたたって、不格好な着地。
 と思ったら、右足首に激痛が!
 
「イタタタタターッ!」

 ねんざです。完全にねんざしてしまいました。

 痛すぎて息が出来ません。
(とはいえ、ラグビーをやっていた高校時代にはよくねんざしていたので、大事には至っていないことは感覚でわかりました)
 痛すぎてしばらく地面をゴロゴロ転がっていました。 
 
 ヨメがものすごく心配してくれているのが、逆に恥ずかしかったです。
 
 しばらくしたら案の定痛みは多少ひいてきたのですが、元旦からコレかー、なんて少し凹んでしまいました。
 
 でも。
 

 
 夕日と富士山がとてもキレイだったのは、ラッキーでした。
 
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 それから一週間経ちましたが、ねんざは未だに痛みます。
 それどころか、右足をかばいながら歩いていたせいか、腰が痛み始めてきてしまいました。
 せっかく『マイケルジャクソン健康法』で治った腰が。
 

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あけましておめでとうございます。2010年。

2010nenga

あけましておめでとうございます。

年の始めにはやっぱり抱負を語らせて頂きたいです。

そういえば、去年は『目の前のことを、マジメにやる。』とか言ってました。
実際どうだったかというと、まあそれなりに実行していたかなと思います。
反省としては、ちょっと保守的すぎたかな、という点があります。

では今年はというと。
現在の職や知識、興味などを深めたいという欲求がありますので、ターゲットをそこだけに絞って実行力を高めていこうと思います。

一言で言うと、『自分のフィールドを深く掘る!』です。

しかしそれはつまり、やらないことを決めるということでもあります。
ワタクシは恥ずかしながら気が多い性格なので、ちょっと手を出してはすぐ止めるみたいなことが非常に多いのです。
この性質は今年は封印です。

とか、そんなこと言ってもどうせ三日坊主なんでしょ?
という自分の性格も分かっているので、新年早々、目標や自己暗示や日々の計画表などをまとめたものをプリントアウトして、ラミネート加工したシートを作成しました。
机の上に常に置いておくつもりです。時には音読です。
(内容はとても恥ずかしくて、ヨメ以外にはとても見せられませんが。)

よし! 気合い入った!

それでは、本年もよろしくお願いいたします。

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『ストレングス・ファインダー』をやってみた

 前回の続きです。

 ということでこの本を買うことで受けることができる『ストレングスファインダー』というテストをやってみました。

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす
さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす
 
 軽く終わるかと思いきや、けっこうなボリューム(180問もあるらしい)で、途中「もしかして無限ループ?」という気さえしてしまいまいした。

 結果はこうです。
 
(1)最上志向
(2)自己確信
(3)成長促進
(4)ポジティブ
(5)達成欲

 
 なんだか暑苦しい感じの文字が並んでますね。
『調和性』とか『共感性』とか優しそうなのがひとつもないし、欲しかった『着想』とか『未来志向』とかクリエイティブっぽいのもひとつもないです。

 やっぱり自分のことってわかってないもんだなー。
 
 ひとつひとつ見ていくと。

 ●最上志向
 「良いものを最高にする」という行為に胸躍るという資質。

  一見よく見えますが、「弱点を克服する」みたいな、平均以下のものを平均並にするという行為には興味がないという一面を持つようです。
  確かにそういうところあるなー。

 ●自己確信
  自分の能力を確信していて、自分の決定に責任をもつことを恐れないという資質。
  その代わり、人から指示されることが嫌いだったりするみたい。

  うーん、そんなに自信家だという自覚はないけど……、そうなのかも。いや、よく考えるとそうだなー。
  意識してなかったけど、確かに指示されるの好きじゃないかも。
  あ!
  そう言われると、これまでうまくやれた上司の方々(現在の上司含め)は、基本的に放任してくれる気がする。
  そうかー。見抜かれてたんだな。

 ●成長促進
  他の人の潜在的な可能性を見抜いて、成長を助けるのが好きという資質。

  これは納得。
  人が成長していく様子を見るの、ホント好きなんですよね、なぜか。
  良いコレ。この資質はちょっとうれしい。

 ●ポジティブ
  よく使われる「前向き」という意味のポジティブというより、陽気さと情熱でまわりの人たちにエネルギーを吹き込む、みたいな資質らしいです。
  人を誉めたり、笑いかけたりするのが好きみたい。

 『成長促進』とコレを持っている人は教育係に向いてるんだって。
  昔から「誉めて育てる」がベストな教育方法だと思っているんだけど、こういうところから来てるんだな。
 
  でも、懐疑的な人と一緒にいると気力が萎えちゃうんだってさ。

 ●達成欲
  常に「何かを成し遂げたい」という欲求を持っているという資質。
 
  これも一見良さそうだけど、けっこう曲者な資質っぽい。
  休みの日とかにさえ何かを達成しないと不満に感じたり、何かを達成してもすぐに忘れて次に何かを達成したくなったりするので、そういう満たされない気持ちをいつも持っているんですって。
  ※これってアレだ。『グラップラー刃牙』最終巻の主人公のセリフ「もうたくさんだ!! もうこりごりだ!! 幾度もそう思ったハズなのに……もうこんなに闘いたい」ってヤツだ!
 
 
 改めて見ても暑苦しいなー。中小企業のワンマン社長みたいなキャラですね。
 あと、確実に大企業とか公務員とかは向いてなさそう。
 そういうところには『規律性』とか『公平性』とかの資質を持っている人が行った方が幸せになれそうだし。
 
 実は昔からクールでスマートな人にあこがれ続けているのですが、どうやらそれはムリだということを再確認してしまいました。
 
 なぜなら本書でマーカス・バッキンガムさんは「自分の資質が気に入らなければ、新たな資質は開発できるか」という疑問に対して「ノーだ」と答えています。
 脳の回路(シナプス)は15才くらいまでに完全に決まってしまい、使われなかった回路は壊れてしまう(回復不能)であるということのようです。
 
 なので、不足している部分を補足するのは労多くて功少なし。とのこと。
 
 まあ、その回路に何を乗っけるか(技術とか知識とか)によって能力が決まるという話なので、上記の自分の資質は受け入れるしかないんだろうな。

 さらば。クールなオレ。
 こんにちは。暑苦しいオレ。(なんと顔も暑苦しいよ!)

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マーカス・バッキンガム「さあ、才能に目覚めよう」を買ってみた

 前々回のエントリ「ツリーの飾り付けと、文化資本」にて、カズキさんから頂いたコメントで言及された「マーカス・バッキンガム」。

 少し調べてみたところ、人材開発のコンサルタントで、ビジネス書の著作も多数という人。
 最近ビジネス関連の本からは離れていた(技術関連の本ばっかり読んでる)のですが、久しぶりに読んでみたいと思った本がありました。
 こちらです。

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす
さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

 タイトルだけ見るとありがちな自己啓発本っぽいのですが、これの面白いところは、本を買うと『ストレングス・ファインダー』というテストが行えるというところ。
 このテストで自分の『強み』がわかるらしいのです(ネットで評判を調べたら、内容もしっかりしてそう)。
 自己分析っって、自分では出来そうで出来ないんじゃないかなー、つーことで買っちゃいました。
 
 本書は、ざっくり言うと「『強み』はひとりひとり違うから、それを生かすのが良いんだぜ」というストレートな内容。

 ですが、意外とこのストレートさって実社会では実践されていないかも。
「これこれこういう人間が完成形だよ。だからそれに向かって欠点を修正していこうね」というマネジメントしかお目にかかったことがないです。学校でも会社でも。
 これって日本だけかな、と思いきや本書の序文で

われわれ人間は、「善は悪の対極にあるもの」という考えに固執し、何世紀にもわたって欠点や弱点にとらわれてきた。~中略~世界じゅうの学校や職場で生徒や職員は、優秀な人間になるには、まず弱点を自覚すること、分析すること、そして、それを克服することだと教えられている。

 とあるので、わりと普遍的な認識であるっぽい。
 
 で、強みは才能×知識×技術である、と。
 そして、唯一自分ではどうにもならない「才能」の定義。
『「才能」とは脳回路により決定される、無意識に繰り返される思考・感情・行動のパターン』
 つまり、個人個人の物理構造に依存するってことですね!
 
 石之介的にはこの話、かなりしっくりきます。
 才能ってなんだか定義できないボンヤリしたものっぽいけど、実は形質的なものなんじゃないかなー、てここ数年思ってまして。
 
 ちょっと脱線しますけども。
 なぜそう思うようになったかというと、息子が恐竜とか魚とかの本ばっかり読むのに付き合っているうちに、「生物って色んな形があるな」と。当たり前ですが。
 で、それぞれの生物が持つ能力ってのはほとんどその体の形とか構造に依存しているのです。
 もし、メチャメチャ根性があって日々自己研鑽を厭わないティラノザウルスがいたとしても、彼が空を飛ぶことは決してないのです。
 これも当たり前ですが。

 で、人間の話で言うと、人間の感情や考え方も脳という物理的な器官から発生しているわけで、それだけが形質的な効果から切り離されるということがあっては、ちょっと納得がいかないのです。

 話を戻しまして、じゃ、どんな『強み』があるというと以下の34個。

アレンジ Arranger/運命志向 Connectedness/回復志向 Restorative
学習欲 Learner/活発性 Activator/共感性 Empathy
競争性 Competition/規律性 Discipline/原点思考 Context/公平性 Fairness
個別化 Individualization/コミュニケーション Communication/最上志向 Maximizer/自我 Significance
自己確信 Self-assurance/社交性 Woo/収集心 Input/指令性 Command
慎重さ Deliberative/信念 Belief/親密性 Relator/成長促進 Developer
責任感 Responsibility/戦略性 Strategic/達成欲 Achiever/着想 Ideation
調和性 Harmony/適応性 Adaptability/内省 Intellection/分析思考 Analytical
包含 Inclusiveness/ポジティブ Positivity/未来志向 Futuristic/目標志向 Focus

 ずいぶんあるのね。
 で、『ストレングスファインダー』をやると、これのうち5つの『強み』を判定してくれるらしい。
 面白そう。早速やってみます。
 自分としては「着想」とか「未来志向」とかの資質があってほしい。
 「競争性」とかはなさそうだなー。

 結果は次回、ご報告します。

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文化資本の話の続き、と終わらない憧れ

 前回の続きです。
 
 残念ながら、『文化資本』は元々持っている人のみが持つことが出来るモノであって、後から身につけようとしても、その「後から身につけよう」とする姿勢がすでに非文化的であって、持っている人と持っていない人の間には決定的な差が出来てしまいます。

 ですが、文化資本が『資本』として成り立つ為には、自分たちみたいに「後天的な努力によって身につけようとする人」たちがいて、はじめて成り立つのです。
 どういうことかというと「ああ、その能力が欲しい。欲しいよ〜」って言ってるワタクシが、それをもともと持っている人の価値を高めてるんです。
 つまり宝石と同じです。欲しい人がいるから価値が出る。
 
 切ないですねー。
 見ようによってはかませ犬。
 もうちょい良い感じで言うと、御神輿かつぐ人です。御神輿に乗りたいのに。

 じゃ、ワタクシのように希望する『文化資本』を持っていない人はどうすればいいんだろう。
 って当然思います。
 
 これはもう、あきらめるしかないのか。
 
 そう。あきらめるしかないんじゃない。
 って今だから、そう言っちゃいます。
 身も蓋もありませんよ。ええ。
 
 ただ、そんな風に言えるのは自分でも「けっこう頑張ったな」と思えるからであって、その能力を持っていないことを努力しない言い訳にはしない方が、幸せだと思います。 
 
 気持ちよく「あきらめたー!」って言える心持ちを味わえるからです。
 ドラゴンボール最終巻であの名台詞「がんばれカカロット お前がナンバーワンだ!!」を言った時のベジータのようです。
 またはジョジョ(5部)最終巻の「運命とは『眠れる奴隷』だ……オレたちはそれを解き放つことができた……それが勝利なんだ……」を言ったブチャラティのようです。
 
 さらに言うと、その努力をしていた頃(自分で「努力した」っていうのもどうかと思いますが)を思い出すと、なんだかちょっと甘酸っぱい気分になれる。
 それも悪くないです。
 
 でもこれらは石之介の個人的な感傷であって、結局『文化資本』的な視点で言うと、解決していない。
 まんまと資本の糧になっているだけという結果。
 
 でも、いいんです、それで。
 そういうもんなんです。

「そういうもんなんです」を受け入れると、あら不思議。
 以前より心に余裕が出来て、けっこう幸せ。
 逆に堂々と言えます。
 オレ、いまでもデザイナーに憧れてるぜ、と。(やらないけど)

(補足)
 ところで『文化資本を持っていない自分が許せん!』って人は、新しい『文化資本』作るしかないんじゃないかなって、テレ東のソロモン流『広瀬光治』見ながら思いました。
 この方『ニット界の貴公子』と呼ばれてますが、そもそも彼の登場以前に『ニット界』なるものが存在していたのか、ということ。(もちろん編み物する人はたくさんいたでしょうけども)
 つまり彼本人が『ニット界』というフィールドとともに『貴公子』の座を創出したんだと。

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ツリーの飾り付けと、文化資本

 本日、ヨメの実家で庭の木に、クリスマスの飾り付けをしてまいりました。
 いつもお世話になっているので、不器用なワタクシですが一生懸命やってみましたよ。
 
 飾り付けをしたのは、お店の入り口の前にある一本だけなのですが、家全体がかなり華やかになった印象。
 楽しい。
 
 そういえば、石之介の実家では、こういうことやらないな。
 クリスマスどころかイベント事を行った記憶が一切ない。
 
 聞くと、ヨメの実家はお店を始める前から季節のイベントを大切にするような家庭だったとのこと。
 だから今回もお店のための飾り付けというワケではないようです。
 
 そんな話を聞いていたら、ふと『ヨメにはデザインが出来て、石之介が出来なかった』(このエントリにほんのりと書いてます)理由はこういうところにあるのかも、と思いました。
 
 お義母さんは、日常生活に華やかさを取り入れていくタイプ。
 食器なんか特にこだわりがあったり、(伊万里生まれだから?)
 ヨメがボサッとした格好していたら「ちゃんとオシャレしなさい」と怒ったり。
 オシャレな人なんですね。
 
 そういった家庭環境で育ったヨメは、石之介より『良いデザインのもの』を当然目にしてきたはず。
 それが石之介とのデザイン能力の差となっているのではないかな、と。
 
 あれ。
 コレが内田樹さんの『街場の現代思想 (文春文庫)』で書いてあった「文化資本」ってヤツじゃないのか。

「文化資本」ってのは、ざっくり言うと、家庭(育った環境)で”自然と”身に付いた趣味や教養やマナーのこと。
 例えば音楽家の家庭の子が絶対音感を身につけていたり、茶道の家元で育った子は立ち振る舞いが美しい、とか。
 
 これらは、いわゆる「育ちが良い」とか「センスがある」みたいな言葉に収められちゃったりしますが、実は「無意識で行われた学習」(=”自然と”)によって身につけた能力です。
 
 で、この「文化資本」の残酷な真実。
 
「文化資本を持っている本人」は”自然と”身に付いていた能力であることから、その能力の対象に対してそれほど執着していないことに対して、「文化資本を持ちたいと思っている人」はその能力を身につけようとすればするほど、その余裕のなさが文化資本の獲得を遠ざけてしまう、ということ。
「成金が、金持ちぶってみるけど、趣味が悪くて逆に痛々しい」みたいなことです。

 切ないですねー。
 デザイナーになりたがっていた昔のオレを慰めてあげたいぜ。
 
 まあ、そんなことを考えながら飾り付けたツリーです。ご覧下さい。
20091128_light
 ▲うん! ちゃんとキレイ!
  青と白って上品ね。