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入浴剤を作ってみる

 最近、娘の顔に湿疹ができていて、ちょっと痛々しい。
 アトピーっぽい感じです。
(石之介に似て、少しアレルギー体質なのかも。長男もそうだし)

 洗剤に負けているのかもしれないので、市販洗剤の使用を止めて、重曹を使うことにしました。
 でも、重曹だとお湯で洗濯する必要があるので、これはお風呂の残り湯を使います。

 ということで、今日は重曹を使った入浴剤を作ります。

 01zairyo
 ▲まず重曹とクエン酸。あと、片栗粉やアロマオイルを準備します。

 02mazeru
 ▲少し水を加えてよく混ぜます。
 娘がベロベロと舐め始めたりしちゃいましたが、基本的に食材なので問題なしです。

 03kansei
 ▲型に入れて、乾かします。
 「これホントに固まるの?」と疑心暗鬼になる一瞬です。

 04tuginohi
 ▲一晩経って完成。ちゃんと固まってます。カッチカチやぞ!

 05intobath
 ▲お風呂に投入! ちゃんとシュワワーっとなりました。クエン酸なのかな?
 なぜかペットボトルのふたでかき混ぜる長男。

 色はつけてないので、すぐにお湯は透明になりました。
 
 もちろんこの後は子供たちと一緒にお風呂に入りましたよ。

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青春の裏側にある若者の痛々しさと成長。 『凍りのくじら』 感想

4062762005 凍りのくじら (講談社文庫)
辻村 深月
講談社 2008-11-14

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 辻村深月さんの著作は、惹かれるタイトルの作品が多いので気になっていました。
 ということで本作『凍りのくじら』を手にしてみました。

 正直、読み始めは、主人公・理帆子の性格が鼻に付いてしまって、読むのがキツかったです。
 表面上は周りの人たちとうまくやっているのですが、その人たちを少し見下しているんですね。(あからさまではないんですが、そのあからさまではないのが逆にすごく鼻に付くんです)
 私だけは本質に気付いている。みたいなそんな態度。

 でも、途中から様子が変わってきました。
 理帆子の元彼・若尾の登場です。 
 若尾が登場してからは俄然おもしろくなってきました。

 若尾はホントダメなヤツなんです。
 プライドは高いし、元彼女(理帆子)に依存するし。司法試験を受けるとか言いながら勉強してる様子はないし。
 で、全てのイヤなことは周りのせいにする。
 なんて共感できるヤツなんだ!
 まるで、自分の若き日の痛々しさを見てるようです。

 でも、理帆子は若尾とすでに別れているにも関わらず、交流を持ち続けちゃうんですね。
 まだ好きだから、という理由ではなく、若尾がダメになって行くのを見たいから、なんて理由で。

 結局、理帆子自身もそんな自分のイヤな部分に気づいていて、だからこそ若尾との関係を完全に切ることができなかった。
 それがある不幸を呼び込んでしまう、と。

 文章に関しては少々冗長なところがあるのですが、(「別所」の描写なんか”嫌みのない””とらえどころのない”ばっかりです。)丹念に心情が書き込まれているので、理帆子の心の揺らぎと成長が感じ取れて、これはこれでいいのかな、と。
 最終的には鼻に付く感じもなくなって、読後感は晴れやかですしね。
  
 お気に入り度=☆☆☆+α

 プロローグは正直言って、必要なかったと思うんですよ。
(プロローグでは、物語のその後が描写されています)
 せっかく緊張感のある物語展開なのに、このプロローグがあるせいかハッピーエンドに着地することがわかってしまう。 
 ※ハッピーエンドは好きなのですが、「もしかしてバッドエンドもありえるかも」とドキドキさせて欲しいのです。

 また、エピローグが大変美しかったので、その後がどうなったかは読者の想像に委ねて欲しかった。

 そういった部分で、「惜しい」といった印象が拭えませんでした。

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この世界にもっと浸らせて欲しい。 『雷の季節の終わりに』 感想

4048737414 雷の季節の終わりに
恒川 光太郎
角川書店 2006-11

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 第12回ホラー小説大賞において『夜市 (角川ホラー文庫)』でセンセーショナルなデビューを飾った恒川光太郎さんの二作目です。

 恒川光太郎作品は、日本人の記憶の中にある風景を思わせる独特の世界が舞台であることが多いのですが、本作も同様です。

 本作で舞台になるのは「穏(オン)」という伝統ある田舎町の風合いを持つ土地です。
 「穏」で育てられた賢也は、ある日秘密を知り、それを知ったが為「穏」を出て行かなければならない状況に陥る。
 そして、外の世界では新たな戦いが始まる。
 という話です。

 凡庸な物語になる危険性を含む設定が多いのにも関わらず、そうならないのは表現力が優れているからかと。 
 文章は相変わらず流麗。
 書き込みすぎず、ちょうど想像力を膨らませるのにベストな状態に抑制されているという感じです。
 リズム感や語感が卓越しているのだと思います。

 でも、物語的には少し物足りなさを感じてしまいました。

『夜市』では、後半の展開で見せた構成力によってすばらしい物語が展開されました。
 本作でももちろん同様の驚きを期待するところです。
 ですが、前半部で提示された数々の謎や伏線、それらがどう回収されるのかワクワクして読み進めましたが、残念ながら期待を膨らませすぎていたようです。
 ひとつひとつが物足りない。

 リーダビリティが高いことの代償なのかもしれません。
 この倍くらいのボリュームで書き込んで欲しかったです。
 特に”ナギヒサ”や”トバムネキ”に関しては、物足りなさ過ぎます。
 せっかくナイスな悪者なのに。
 
 お気に入り度=☆☆☆☆

「穏」「風わいわい」といった造語に代表される言語感覚がすばらしいのは言うまでもありません。
 だからこそ量的に足りない!もっと味わせて欲しかった!

 でも、面白いか面白くないか、と言われると面白かったです。

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市民農園に当選

 先々週ほど前に、近くの市民農園で区分借主を募集していたので、軽い気持ちで申し込みをしました。

 本日、当選通知が来ました。

oshirase
 
 でも、一区画分(12平米くらい)しか申し込まなかったので、かなり小規模になりそうです。
 何を作ろうかなーっと。

 簡単と言われるイモとかカボチャとかがコストパフォーマンスが良さそうな気がするけども。ネギとかもいいな。

 家庭菜園をやってみたかったんで楽しみです。

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「侍戦隊シンケンジャー」が始まった。

 長男が待ちに待った「侍戦隊シンケンジャー」が始まりました。

 モチーフはそのまんま「侍」なので、基本的に刀で戦ってます。

 見た後に買い物に行ったら、100円ショップで刀の形をしたオモチャを発見。 
 帰って来た後は、その刀を振り回しながら、2回目を鑑賞です。

 でも、せっかく刀があるのに、最終的にはシンケンジャーの真似ではなく、やけにカクカク動く「折紙ロボ」の真似ばっかりしてました。
 ※折紙ロボは主人公が操縦する動物型ロボットです。

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夏みかんを高枝切りばさみでもぎまくる、の日。

 和食屋さんを営んでいるヨメの実家(やさい家たなか)の中庭には、夏みかんの木が生えています。

 今日は別の用事で寄ったのですが、そろそろ夏みかんを収穫する季節だね、ってな会話から、じゃみんなでやろうぜ!という展開に。

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 ▲いっぱい、なってます。

 02kyatatu
 ▲ヨメがもいで、長男が受け取る、のコンビネーション。ナイスコンビネーション。

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 ▲脚立でも届かない高さのみかんは最終兵器「 高枝切りばさみ」を投入。
  ↓ご存知、こんな長い棒の先にハサミがついてるヤツです。

 一度やってみたかったんで、おおはしゃぎでもぎまくりました!
 もぎにもぎまくりました。

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 ▲大収穫!

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 ▲木もツルツルになりました。

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 ▲来年もたくさん実がなるように、肥料をまいて、おしまい。

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 ▲ぜんぶ穫っちゃうとさみしいので、部屋の中から見える位置に、ひとつだけ残しておきましたよ。イエイ。

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祭りに参加できない人間はどうしたらよいのだろう。 『シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土』 感想

4480422536 シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)
梅田 望夫
筑摩書房 2006-08-10

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 アルファブロガーの梅田望夫さんの数年前のエッセイ集です。

 著者のシリコンバレーでの個人的経験や、ベンチャーの世界のありようなどが、生き生きと描かれています。

 読みながら度々噴出してしまったのが、うらやましい。という気持ちです。
(うらやましい、というより、ねたましいというレベルですね。正直言うと)

 石之介は、ITバブルが弾けた直後に社会に出たもんですから、社会全体が、またはある程度の大きさを持ったコミュニティ全体が盛り上がって行く、という経験をしていないのですよ。
 そんな空気を感じてみたいです。
 でも、ボクらの世代は下がりはじめたところから始まりました。

 そんな状況に対して、特に悲観的になるつもりではないのですが、自分に参加資格がなかった祭りの話を楽しげに語られても「ああ、そうすか」と言いながら疎外感を感じるしかない。

 じゃ、ITバブル前に社会に出ていたら、もっとエキサイティングな生活を石之介は選択できたのか、と言われたら、おそらく出来なかったでしょう。
 能力が足りないからです。
 シリコンバレーのような、能力によってのみ生き残れる場所では討ち死にです。
 石之介が祭りに参加できないのは、世代のせいではありませんでした。
 無念。極端に無念。

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ついにゴーオンジャーが最終回

 一年間前から長男に付き合って見始めて、そのままけっこうハマッてしまった炎神戦隊ゴーオンジャーがついに最終回を迎えてしまいました。
 俳優さんたちのブログとかもチェックしたりするぐらいハマッてたので、けっこう寂しい。

 来週からは侍戦隊シンケンジャーが始まるとのこと。
 長男はすでにシンケンジャーに心を奪われ始めています。

 おもちゃ屋を覗いてみても、すでにゴーオンジャーのおもちゃはまったく置かれていない状態です。
  
 この移り変わりの早さにも寂しさを感じてしまいますね。

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戦後の空気が少しわかった。 『こまった人』 感想

4121018192 こまった人 (中公新書)
養老 孟司
中央公論新社 2005-10  

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 生活に少し疲れている時は、「物語を追う必要がない文章」を読みたくなることがあります。
 感情移入するパワーがないので、物語を楽しめないからだと思います。
 そんな時は先人のことばを頂戴するに限ります。
 
 ということで『バカの壁 (新潮新書)』がバカ売れした養老孟司先生の本を読むことにしました。

 なるほど!と思った点はいくつかあったのですが、特に印象深いのは2点。

 1・日本の「物づくり」指向について

 「日本人はやっぱり物づくりだ」というような論調を無批判に受け入れてた石之介ですが、それに対して、「なぜ」「いつから」そうなったかということに関して考えたことがありませんでした。
 それに対し、養老孟司先生はこう説きます。

 どうして物づくりか。問題はその動機である。NHKの「プロジェクトX」という番組も、日本人の物づくりの熱心さをいいたいのだと思う。なぜそうなったのか。答えは戦争にある。あるいは敗戦、終戦にある。
 ご存知のように戦後は価値観がいわば逆転した。私の世代なら「だまされた」と感じた人が多いはずである。戦争にはかならず勝つ。そう教えられて育ってきたからである。社会的価値観のそうした逆転現象に出会うと、「変わらない」ものを求める気落ちがどうしても生じる。
〜略〜
 文科系的な価値観は信用がおけなくなった。理科系つまり科学技術なら間違いあるまい。そういうことである。
 

 なるほど。日本人は敗戦後、気持ちのヨリドコロとして、「物」=「確実さ」を選択したわけなんですね。

 で、敗戦経験者はその経験を以て、次世代を教育する。確実であれ、と。
 そうして生まれたのが、超保守的な世代、団塊の世代なのかな。どうなんだろ。

 石之介はちょうどロスジェネ世代ど真ん中なので、「私の世代なら「だまされた」と感じた人が多いはずである。」という記述にも目をひかれてしまいます。社会なんて信用できない、なんて状況は常にあることなんだな、ということなんですね。先生。
 ボクら世代の人間は社会に対してつい被害者ヅラしてしまいがちな気がする。ちょい反省です。

 あと、戦争への言及関連で言うと、「拝啓 小泉首相様」では少し泣いてしまいました。

 2.「自分探し」と「仕事」について

 「自分探し」という言葉について回る胡散臭さについては、自分としても気になるところではありましたが、養老先生がヒントをくれました。

 「本当の自分」があったって、べつにかまわないのだが、それを「自分の意識が把握できる」と思ってるのが、とんでもない間違いなのである。
〜略〜
 「本当の自分」という錯覚が、職業選択に影響していることは、若者たちが「自分に合った仕事」を探しているという調査結果からもわかる
 

 「自分探し」に感じる違和感は、自分とかいうものがある/なしの話じゃなくて、あったとしても、そもそも認識できるか、という話なんですね!

 認識できないものを一生懸命探しても見つかるはずありませんよね。
 
 さらには見えないものに合った「仕事」を探すことなんかそもそも無理なんだ、と。
 
 おーっと、明日から会社に行くことが少しラクになりましたよ。ありがとうございます。養老先生。

 っと、そこでまた新たな疑問が生まれました。
「自分探し」とかって誰が言い出したんですかね? 今後、要調査です。
 
  

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傍観者はヒーローになれない。 『隣の家の少女』 感想

459402534X 隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)
Jack Ketchum 金子 浩
扶桑社 1998-07

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『地下室の箱』を読んでも、あまりピンとこなかったので、ケッチャム作品の中でも評判の良い本作『隣の家の少女』にチャレンジです。

 主人公(デイヴィッド)の隣の家には3兄弟とその母(ルース)が住んでおり、その家に両親を亡くした姉妹(メグ・スーザン)が引き取られる。
 しかし、ある日を境に姉妹への虐待が始まる。そしてエスカレートする暴力行為。メグとスーザンはどうなってしまうのか?といったストーリーです。

 主題が少女虐待なので、褒めるのには抵抗がありますが、あくまで作品の評価として言わせて頂ければ、『地下室の箱』に比べてかなり良いと思います。

 実は『地下室の箱』では、被害者がどんなに酷い目に遭っても「まあ、結局フィクションだしね」という感覚がぬぐえなかったのです。
 ですが、本作『隣の家の少女』を読んでいるときは、まるで本当にあった事件の後日談を読んでいるような気持ちになりました。

 なぜだろうかと考えたところ、視点の置き方の絶妙さが良いのかな、と。

 主人公の立場は被害者でもなく加害者でもなく「基本的には」傍観者であります。
 で、もちろん読者ってのは、完全に物語の傍観者であります。
 ということで、主人公の視点が、だんだん読んでいる自分の視点かのように錯覚して、虐待の描写が生々しく感じるんですね。

 でも、主人公に対して感情移入しているというのに、突然主人公が「虐待されているメグが悪いんじゃないの」みたいな立場を取ったりするんです。
 それが、この作品の怖いところです。
 主人公とリンクしている読者(私)は どう考えてもメグが悪くないのを分かっているのに、主人公と同様にメグに対してちょっと苛立ちを感じたりしちゃうんです。
 
 もうひとつ構成が上手いと思ったのが、それまで虐待の描写を執拗に書き込んできたのに、「最も酷い虐待」に関しては、仄めかすだけで記述しないのです。
 そんなことされたら、読者である石之介は、「最も酷い虐待」を想像しちゃって心の傷が出来てしまいますよ。

 〜以降、ネタバレあります〜

 結局、最後にはメグは壮絶な死を迎えてしまいます。
 で、さらにその直後に主人公は「みんなの目の前で、でも誰にも気づかれずに」ルースを殺してしまいます。

 メグのための復讐でしょうか。「メグを助けられなかった」自分のための復讐でしょうか。
 でも、そのシーンを読んで、石之介は正直言ってスカッとしてしまいました。
 人は、人を殺してスカッとしてはいけないんです。絶対。
 なのに、そういう気持ちにさせられたこともこの作品の恐ろしさの一つだと思います。

 お気に入り度=☆☆☆☆

 確かに「心に残る作品」ではありますが、読まなくてもいい作品かもしれませんね。2~3日くらいの間、ネガティブになると思います。