0

"あたし"節の原点なのかな? 『沈黙』 感想

4877283226 沈黙
古川 日出男
幻冬舎 1999-07 

by G-Tools

 文章そのものが気持ちいい作家さんのひとり・古川日出男の第二作です。
 図書館にあったんで、衝動借り(?)。

 内容はこうです。

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

“あたし”秋山薫子の母を産んですぐに亡くなった見知らぬ祖母・下岡三稜の実家は、中野区に屋敷を構える大滝家だった。大東亜戦争時、あらゆる声と言語をあやつり固有の顔を持たぬ特務機関員として南方戦を生きた大滝鹿爾。防音された地下室で、ジャケットとレーベルのない数千枚のLPレコードを聴き、十一冊のノートを残した、その長男・大滝修一郎。「屋敷をぎりぎりまで成仏させたい」と願う三稜の姉・大滝静。謎の死と破滅と孤独–“あたし”が掘り起こした大滝家の来歴は、歴史の落とした影が血族の闇となっていた。そして、いまだ生き続ける呪詛。”あたし”秋山薫子は誰なのか?失踪を繰り返す弟・秋山燥は?生きとし生けるものを覆い尽くす『根源的な悪』の正体を明らかにし、生命の意味と生きる意思を啓示した傑作長篇。

 『ベルカ、吠えないのか? (文春文庫)』のように、ある時代の流れを体験していく話かと思いきや、違いました。
  古川日出男の”あたし”節がうなってますが、これが二作目だとすると、”あたし”の原点なのかもしれませんね。

 正直言って、楽しみました!

 大筋は、失われた音楽”ルコ”を追う物語。
 でも”ルコ”の歴史というのは実は……、というミステリ性もストーリーを引っ張ります。
 そんな中でほんわかした日常の幸せもあったり、
 旧い日本を想起させるコミュニティ活動があったり、
 歴史に埋もれた真実や、当たり前だと思っていた感覚への問いがあったり。
 ”悪”との対決もある。見事な欺瞞もある。
 とてもぜいたくな物語です。

 阿片窟での大瀧と鹿爾の邂逅のシーンとかはめちゃめちゃカッコいいですし、薫子の覚醒のシーンも良いです。
 でも、弟・秋山燥は登場当初、キャラクターとして魅力的だと思ってたのにあんまり出てこなくて残念。
 かと思いきやちゃんと魅力的?になってしまいました(泣)
 ”あたし”と彼の仲が良かった頃をもう少し知りたかった(泣)

 なんだか、とりとめのない感想になってしまいました。
 だけど、そういうバラバラな部品が、”あたし”の体験に収斂されていくストリームを感じるための作品なんです。
 
アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫)』と『ロックンロール七部作』の両方を好き、という方にオススメ。

 お気に入り度=☆☆☆☆☆

 お金が出来たら買いますとも。
 

0

想像力が必要だわ 『あなたに不利な証拠として』 感想

415177601X あなたに不利な証拠として (ハヤカワ・ミステリ文庫)
Laurie Lynn Drummound 駒月 雅子
早川書房 2008-03 

by G-Tools

 えらく評判が高いのと、タイトルが良いので手に取ってみました。

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

警官志望のキャシーが助けを求める女性のもとに赴いた時、その胸にはナイフが突き刺さっていた。彼女はレイプ未遂犯の仕業だと主張するが、刑事は彼女の自作自演と断定した。だが6年後、事件は新たな展開を見せる。アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀短篇賞を受賞した「傷痕」をはじめ、一人の男を射殺した巡査の苦悩を切々と描く「完全」など、5人の女性警官を主人公にした魂を揺さぶる10篇を収録。大反響を呼んだ傑作集。

 10ページに満たない、ものすごく短い短編もあれば、中編ほどの長さのものもあり、主人公も各話によって変わります。
 それぞれのエピソードはところどころ繋がりはあるけれども、”謎解き”的な意味合いでの繋がりはないです。

 そして、ストーリーを引っ張っていくような大きな仕掛け、も存在しません。
 しかしながら、読み終わった後の気持ちとしては、「読んで良かった」です。

 実は、最初にトライしたときは読むのに挫折しました。
 でも、ある日(疲れていたある日)一文一文を丹念に読んでみました。
 (結末が知りたい、とか思うと、3行ずつ読む、とかやりがちですが、それを抑えて読んだのです)
 そうしたら、あらら良い作品なんじゃないの、ということに気がついたのです。

 そもそもこの作品はストーリーの起伏や結末を楽しむというよりは、作品世界に浸る、という読み方が合っているのだと思います。
 そうすれば、葛藤やあきらめのなかにも存在する希望、などハッキリとしない感情を体験することができます。
(そう言う意味ではカタルシスを求めて読んではダメな作品ですね)

 ただ、不満だった点としては、五人の女性警官を一人称で書いているのに、どの作品も似たような文体(一人称での文体はそれ自体がキャラクターを表していると石之介は思っています)で書かれているので、少し単調に感じてしまった、という点です。

 特に好きな話は『キャサリンへの挽歌』『銃の掃除』『わたしがいた場所』です。

 お気に入り度=☆☆☆☆
 
 落ち込んでいる時に読んで、よりダウナーになってしまったので、4つです。
 私的な理由ですいません。

0

メインストリームに流されない人たち 『魔王』 感想

4062761424 魔王 (講談社文庫 い 111-2)
伊坂 幸太郎
講談社 2008-09-12 

by G-Tools

 文庫版が発売されていたので、手に取ってみました。
 
 ストーリーはこうです。

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

会社員の安藤は弟の潤也と二人で暮らしていた。自分が念じれば、それを相手が必ず口に出すことに偶然気がついた安藤は、その能力を携えて、一人の男に近づいていった。五年後の潤也の姿を描いた「呼吸」とともに綴られる、何気ない日常生活に流されることの危うさ。新たなる小説の可能性を追求した物語。

 わけのわからない問いやオシャレな会話が実は伏線で、最後に思わぬ角度で収束していく、という箱庭的な気持ちよさを伊坂作品に期待しているのですが、本作はそういう部分で物足りなく感じました。

 もしかしたら「答えを出さない」というのが本作でのスタンスなのかもしれません。
 なぜなら、安藤兄弟の能力も”敵”の能力も本当に存在するかどうかは明示されておらず、その能力がもたらしたであろう結果も偶然の産物だ、といえなくもない書き方をしていますし。
 悪役であればスッキリする犬養に関しても、絶対的な存在であるようには書かれていません。(と石之介は思います)

 またテーマは政治、ではなく、マジョリティの中で示すマイノリティの矜持、だと認識していますが、残念ながら本作ではマジョリティの顔があまり見えないのが残念です。

 批判めいたことを書いてしまいましたが、気に入ったフレーズはいくつもありました。
 詩織の「(ネタバレなので略)〜。 たかだか死んだくらいで」とか。

 お気に入り度=☆☆☆

 何か物足りないです。続きがあるなら読みたい、と思ったら、
 モダンタイムス (Morning NOVELS)
ってそんな位置付けなのかな。

 週刊モーニングで連載されていたのは知ってたけど、読み飛ばしちゃってました。

0

世界は閉じている。 『わたしを離さないで』 感想

4151200517 わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫 イ 1-6)
土屋政雄
早川書房 2008-08-22

by G-Tools

 タイトルからはロマンティシズムばっかりのメソメソした作品なのかと想像してたのですが、全然違いました。すいません。

 ある「謎」について触れずに紹介するのは困難なので、あらすじは書きませんが、「謎」を知ってしまったからと言って読む楽しみが減ってしまうということはないくらい、作品世界は見事に構築されています。

 この作品を読むと、「自分という存在からは逃げられない」という、とても当たり前の事実を突きつけられます。
 逃げようとしても逃げられない、のではなく、自分と世界の関係性もすべて自分にフィードバックされてます、ということです。
  
 また、この作品で非常に面白いと思ったのが、主人公が感じ取っているであろう世界が、広がろうとしない、という部分です。
 
 「私はこの世界を子供時代のメタファーにしたかったのです。」とカズオ・イシグロ本人が語っているように、幼少の頃の「自分が見えてる世界=世界の全て」という状況を切実に感じさせてくれます。
 
 ということで、主人公はその苛烈な運命を、完全に受け入れてるのかな、と思っていたのですが、ラスト直前、主人公の 『わたしは一度だけ自分に空想を許しました。』という記述があります。

 もしかしたら、意識的に空想することを抑えてるのかも?

 自分が置かれている状況を「外界」からの視点で想像してしまったら、「かわいそうな子たち」(@マダム)であるのは分かっている。
 そいういうことを想像しないようにしているのかもしれません。
 いや、それこそ悲しすぎます。

 作品の中では保護官(主人公世界から見た場合「外部」)の視点から語られることは少ないので、保護官に感情移入しなかったですが、読後にちょっと保護官の視点で考えてみたら、ちょっと凹みました。

 お気に入り度=☆☆☆☆☆

 お気に入り、というか、読む前と読んだ後は世界の見え方が変わるレベルの作品だと思います。

0

青春を感じる 『老人と宇宙(そら)』 感想

老人と宇宙 (ハヤカワ文庫 SF ス 17-1) 老人と宇宙 (ハヤカワ文庫 SF ス 17-1)
内田 昌之 

by G-Tools

 75才以上にならないと入れない軍隊、という設定に惹かれたので、読むことにしました。

 おおまかなストーリーはこんな感じです。
 

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

ジョン・ペリーは75歳の誕生日にいまは亡き妻の墓参りをしてから軍隊に入った。しかも、地球には二度と戻れないという条件で、75歳以上の男女の入隊しか認めないコロニー防衛軍に。銀河の各惑星に植民をはじめた人類を守るためにコロニー防衛軍は、姿形も考え方も全く異質なエイリアンたちと熾烈な戦争を続けている。老人ばかりを入隊させる防衛軍でのジョンの波瀾万丈の冒険を描いた『宇宙の戦士』の21世紀版登場!2006年ジョン・W・キャンベル賞受賞作。

 かなりエンタテインメント性の高い作品でした。
 
 老人→戦士、への再生や、未知なる敵との邂逅と戦い。
 仲間との出会いや再会、別れ。恋。
 
 そういったストレートな楽しみを与えてくれる作品です。
 
 なぜ老人しか軍隊に入れないか、という点ももちろんひとつの謎としてストーリーを引っ張ってくれます。
 正直、それほどインパクトのある答えでもなかったのですが、それが明かされるころにはすでに登場人物たちに感情移入させられてます。物語運びがウマい!
 
 作品中、最も印象に残ったシーンはコンスー族と人間との儀式。
 コンスー族は数々出てくる宇宙人の中でも、目を引く存在ではあったのですが、
 この場面で見え隠れするコンスー族の文化背景が、色々と想像させてくれます。

 例えば、コンスー族が人間と話した後のコレです。

「われがおまえたちのことばを口にして不浄になったので、これより死へと旅立つが……」

 人間としゃべっただけで死んじゃうの!?
(実際はもうちょっと複雑な事情があるのですが…)

 結局、この作品中ではコンスー族の究極的な目的が明かされなかったので、
 思わせぶりで終わってしまうのか、と思いきや、この作品ってシリーズものなのね(訳者あとがきに書いてありました)。

 お気に入り度=☆☆☆☆

 続編をお待ちしております。
 あ、二作目がすでに出てた。読まねば。

0

泣くしかなかった『幼年期の終わり』 感想

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫) 幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
クラーク 

by G-Tools

 タイトルからしてすでにシビれまくりの本書ですが、内容もスゴすぎです。
 この感動は最後まで読んだ人にしか伝わらないとは思いますが、
 正直、読み終わった後には泣いちゃいました。でもなぜ泣いたのか、自分では理解しきないのです。
 悲しさとか切なさとか感動とかがすこしずつ混ざり合った感じです。
 
 ストーリーはこんな感じです。

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

地球上空に、突如として現れた巨大な宇宙船。オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる異星人は姿を見せることなく人類を統治し、平和で理想的な社会をもたらした。彼らの真の目的とはなにか?異星人との遭遇によって新たな道を歩み始める人類の姿を哲学的に描いた傑作SF。

 「未知との遭遇」はSFのメジャーなテーマで、紹介文だけ読むとそういう物語かと思ってたんですが、
本書の中身は「未知との遭遇、その後」さらに「未知との遭遇、その後、さらにその後」なんですねー。
 
 抵抗不可能な外部の力によって、変質せざるを得ない人間(と人間社会)。
 そこに築かれたユートピアと解かれない謎。
 新しい人類の不可解なダンス。
 行く末が最後に示されるときは、もう泣くしかなかったです。 
 
 ”それ”が成された後、オーヴァーロードは人間のことをうらやましがる、という構造も切ないです。
 オーヴァーロードは作品中で自分で言っている通り「保護者に過ぎない」んですね。
 旅立つ子供について行くことも、行く先で何が起こるかを理解することも出来ないんですね。
 切ない。
 あれ?いつの間に、オーヴァーロードに感情移入しちゃってますよ。
 なんでそうなるかは読んだらわかると思います。
 (新しい人類に感情移入する人がいたら、ちょっと親しくできそうにありません。すいません)

 古典的SFの宿命「ガジェットが古い」というのもそれほど気にならなかった。
 むしろテクノロジー的な進歩を予言してきたSFが、ついに実現された「ユートピアでの人間のありよう」(旧人類の方ですよ)についてまで予言しきってるんじゃないか、とまで思っちゃいました。

 ところで吉村萬壱の『クチュクチュバーン』って『幼年期の終わり』へのリスペクト作品なのではないか、と石之介は勝手に思ってます。
 人類の行く末を見届ける役割を持っているキャラクターもいるし(ジャン/シマウマ男)。
 
  お気に入り度=☆☆☆☆☆
 お気に入り度というか読むしかない度です。

0

笑える部分もある 『独白するユニバーサル横メルカトル』 感想

独白するユニバーサル横メルカトル 独白するユニバーサル横メルカトル
平山 夢明 

by G-Tools

 平山夢明には、「狂い」の構造 (扶桑社新書 19)を読んでから興味がありました。

 平山夢明は社会にうまいこと適合できた狂人のような人、と石之介は認識しています。
 正常な人が「狂った世界」を描いた場合には、「正常」の裏としての「狂い」が描かれて、そこにはタブーを犯していることに対する陶酔が盛り込まれちゃったりしがちなのですが、平山夢明の場合は自ら見えている世界を「正常」な人たちに対して翻訳しているかのように描いているように思えます。
 作品は面白いですが、近くにいたらすごくコワい人かと思います。
 
 で、本書『独白するユニバーサル横メルカトル』です。
 8編の短編からなる本書ですが、まあ馴染みのある世界はひとつもないです。
 
「C10H14N2(ニコチン)と少年–乞食と老婆」

 この作品に関しては乞食側に感情移入してしまったもんだから、切なくて仕方が無かった、といいたいところですが、思わず笑ってしまった何箇所があります。

 一つはたろうが乞食に対して、なんでそんなに暮らしをしているかを問うシーンで次々とダメな理由をあげていくところ。特に以下の台詞。

「じゃあ、お酒だ。お酒のみだったのでしょう(アル中だ)」

この作品では()付きの台詞はこの部分だけなのに、大変失礼な決めつけをいきなりしてしまっているんですね。伝わりづらいかもしれませんが、会話の流れで読むと笑えるはず(と石之介は思っています)。
 
 ほかにも乞食に対して失礼なナレーションやおじいさんにいきなりキレるたろうなど、全編通して笑える部分がちりばめられています。(笑えるという読み方は誤読かもしれませんが)

「Ωの聖餐」

 食人をするオメガと、その世話をする男の話。
 なぜかハードボイルドを感じさせる世界感。結末に関しては予想通り、というか、実は話の中でほのめかされているので、意外性は少ないけど、とらえようによってはハッピーエンドかな?

「無垢の祈り」
 
 実の母にも義父にも同級生にもいじめられている少女が殺人犯に救いを求める話。
 いやー、実際に世界がこういう風に見えている子って多い気がするなー。
 こういうのはフィクションの中でだけでやって欲しいけど……。
 
 
「オペラントの肖像」
 
 ディストピアものっていっていいんでしょうか。
 管理社会において芸術がタブーとなっている世界。
 この世界観で別の話が読みたいなー。
 チャンピオンとかで長期物としてマンガ化してほしいです。

  
「卵男」
 
 死刑囚@監獄。
 これが一番ミステリっぽいかも。
 とはいえ、結末がものすごい意外かっていうと、そうでもない。

「すまじき熱帯」
 
 本書でこれが一番あたまおかしいな、って思います。
 外国語で書かれた作品を、うまく翻訳できなかったみたいな文章が刺激的です。面白いです。
 これをたとえば1500枚くらい続けたら、新しいジャンルになりそう。

「独白するユニバーサル横メルカトル」

 地図が独白するところから始まるのですが、あまりの丁寧なものいいに正直笑ってしまいました。
 人皮の不気味さも良いです。
 ストーリー的にはちょっと物足りない気も。

「怪物のような顔の女と溶けた時計のような頭の男」

 いや、すいません。わりとグロテスク描写には強いと自負していましたが、読み切れませんでした。

 お気に入り度=☆☆☆☆

 グロテスクな作品がほとんどですが、読後感はそんなに悪くないです。
 でも『このミス』1位という事実に対しては、疑問。ミステリ性がある作品が多い訳でもないのに。
 『このミス』の言う広義のミステリってイコール小説全てってことなのかな。もうジャンルにこだわる時代でもないですよ、ってことかな。

0

『ISOLA – 十三番目の人格(ペルソナ)』 感想

ISOLA―十三番目の人格(ペルソナ) ISOLA―十三番目の人格(ペルソナ)
貴志 祐介 

by G-Tools

 他人の心を読む能力を持つ主人公・由香里が、多重人格を持つ少女・千尋と出会う。
 阪神大震災をきっかけに千尋の中に「磯良」という人格が生まれるのだが、由香里は「磯良」を危険な人格であると判断し、治療に臨む。
 しかし、同時期に千尋をいじめていた同級生が次々と死んでいく、という事態が発生し……というお話。

 多重人格者や心を読む能力者が出てくる話、というと、かなり手垢のついた材料で、読む前はそんなに期待していなかったのですが、なかなか楽しめました。

 楽しかった点は以下です。

 ◆漢和辞典。
 千尋の中にいるそれぞれの人格には名前がついているのですが、例えば「陽子」という名前は太陽を想起させ、明るい印象を持たせます。
 でも実は「陽」の文字には「いつわる」という意味もあり、「陽子」は狡猾な性格である。
 漢字の意味の多重性を上手く使っている設定だと思います。

 ◆多重人格者同士の会話 
 基本的に由香里は心を読む能力に関してはカミングアウトしていないので、多重人格者同士が行っている会話に関しては、一方的に聞いている状態なのです。
 だから心を読んで知ることが出来るのは人格の断片だけ。
 真実を知るにはやはり直接の対話が必要なのです。
 でも自分が「読めている」ことはバレちゃダメ、というようなこっそり感がスリリング。
 
 不満な点と言えば、由香里の性格が良すぎることに対して説明・描写がないこと。
 由香里は心を読める能力を持つため、周りの人間から気持ち悪いと思われていて、
 思春期に家族や友達に「死んでくれないかな」とか思われてるんです。
 なのに、特になんの出来事もなく、その後、素直な良い子に育ってるんですよね。
 自分だったら絶対歪むと思います。

 お気に入り度=☆☆☆(5点満点中)

 面白いですが、やっぱりこのモチーフ(多重人格者)は食傷気味かな、と思います。
 
 あと、漢和辞典が欲しくなっちゃうと思います。

0

これ、ホラーじゃないの? 『かび』 感想

かび (小学館文庫) かび (小学館文庫)
山本 甲士 

by G-Tools

 痛快な作品が読みたい気分の時、見つけたのが本書『かび』。あらすじも以下のように紹介されています。

 ムカつく…。主婦が大企業相手に戦闘開始!
 幼稚園の送り迎えでの些細なトラブル、ねちっこく繰り返される姑のいやみ、ウェイトレスの尊大な態度……日々の怒りを呑み込んで、波風を立てずに生きてきた主婦・友希江。しかし勤務中に脳梗塞で倒れた夫を退職に追い込もうとする会社のやり口に、ついにキレた! 主婦一人、地元の大企業相手に、手段を選ばぬ報復を開始! 誰にでもある日常の不満から、闘争へと突入していく主婦の狂気を描き出す「巻き込まれ型小説」の傑作、ついに文庫化

 面白そう!
 普通の主婦が大企業と闘って、会心の勝利!スッキリ!
 って読み終わるはずだったのに……。
 
 痛快な気分にはなれませんでした。(面白かったけど)
 主人公がどんどん暗い考え方に染まっていく様子が丁寧に描かれています。
 これはホラー作品と言ってもよいくらいです。 
 
 でも、主人公がそうなってしまうのも仕方ないような世間の仕打ち。
 
 実際読んでいると、「あー、こんな人いそうだわー」って納得しながら、イライラしてくると思います。
 前半、主人公はそういう人たちの行動に我慢してしまうんですね。

 はやくこのイライラを解放してくれー、と思いながら読み進めてしまうんですが、あのラスト。

 やっぱり復讐心で行動するのは、みんなが切ない状況になってしまうんですね。

 でも本書を読むと、「騒音おばさん」みたいな人の作られ方がわかります。で、そういう人たちに少し寛容になれると思います。

 お気に入り度=☆☆☆

 面白かったんですが、やっぱり読後感が……。

0

メイントリック以外も注目すべき 『ハサミ男』 感想

ハサミ男 (講談社文庫) ハサミ男 (講談社文庫)
殊能 将之 

by G-Tools

 言わずと知れた叙述系ミステリです。

 ストーリーは、猟奇殺人犯「ハサミ男」の第三の犯行と思われる事件が発生。だけど、第一発見者は「ハサミ男」本人。「ハサミ男」は自分の犯行を真似た真犯人を捜すことに。という話。

 「ハサミ男」側と捜査する側の2つでストーリーは進んで行きます。

 メイントリックの答えは書評などで明かされている通り、文中の様々な場面でほのめかされています。

 <以下、軽ーいネタバレがあります。>

 ハサミ男が◯◯だった、というのが明かされたときは正直ふーんってなもんだったけど(なんとなく気付かされたので)、捜査員が既に真犯人をマークしていた、ということが明かされるところには興奮しました。
 
 実は「ハサミ男が◯◯だった」という叙述トリックは読者から真犯人/捜査陣への視線をそらすために存在していて、だからこそ気付きやすいような伏線があからさまに張られているのだと思います。

 「ハサミ男」本人以外にも、この作品には様々な悪意が描かれています。

 例えば被害者・樽宮由紀子の描かれ方。ただのかわいそうな被害者ではなく、「ハサミ男」同様、サイコパス的な人だったのね。

 また、エンディング近く、真犯人の最後の行動&言葉のせいで、真の悪意は消えずに残ってしまうことになるんですよね。
 やけくそ的にも見えるこの行動は、もしかしたら真犯人の、社会に対する復讐かもしれないのかもしれませんね。

お気に入り度=☆☆☆☆

面白いのは確実です。でも、やっぱりシリアルキラーへの嫌悪感があるので、4点。