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古川日出男のリズムを抽出。 『僕たちは歩かない』 感想

404873735X 僕たちは歩かない
古川 日出男
角川書店 2006-12

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 この感想にはネタバレを含みますが、本作は薄いし(本当に薄い)サプライズもないので、特に問題ないと思います。
 30分くらいで読めちゃうほど薄いです。

 古川日出男の作品は、独特なリズムから成る文体/多様なサブストーリー/豊富な語彙、などを楽しむことが出来ますが、この作品に関してはリズムの気持ちよさを抽出した作品だと思います。

 物語は、シェフを志す若者たちが、26時間制の世界に紛れ込むところから始まります。
 そこで料理の腕を磨きあう若いシェフたち。
 しかし、仲間の一人であるホリミナという女の子が突然、亡くなってしまう。
 ホリミナを連れ戻すために冥界に行く、というお話です。

 やっぱり死んだ女性を冥界から連れ戻しに行く、というのは古事記に出てくるイザナミ・イザナギの黄泉の国のお話をモチーフにしていると思いますが、そういう意味では冥界でホリミナの姿が見えないのは救いでした。
 古事記のイザナミは雷と蛆虫にまとわりつかれたおぞましい姿で出てくるので、もしかしてホリミナもとんでもないことになるんじゃないか、と思ってたんですがそうはならずに安心しました。
 イザナミとホリミナが違うのは、生き返ろうとしたか、しないか。
 イザナミは生き返ろうとして、醜い姿を現してしまった。
 ホリミナは死を受け入れた。だから醜い姿をさらすことはなかった。ということなのかもしれません。

 この作品で特に好きな部分は、冥界のイメージが美しいところです。
 大雪。東京にある断崖。
 駅のホームに置かれた錆びた鉄で出来ている巨大な鳥かご。

 薄くてサラッと読めちゃう本ですが、リズムとイメージに身をまかせてサラッと読んじゃうのが正しい読み方だと思います。

 お気に入り度=☆☆☆☆

 ちょっと軽くヒデオを読みたいぜ、って時にベストです(笑)。

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素直に読めば良かった。 『終末のフール』 感想

4087748030 終末のフール
伊坂 幸太郎
集英社 2006-03

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 読み方を間違えてしまった! 素直に読めば良かった。

 本作『終末のフール』は滅亡まであと3年となった地球で過ごす普通の人たちの物語。
 8つの物語から成る短編集です。

 伊坂幸太郎に期待してしまうのは、「オシャレ」な会話にひょいっと隠された伏線が、終盤で気持ち良く回収されていく、というような構成なので、この作品に関してもそれを期待してしまいました。 
 それぞれの短編に何かが隠されていて、最後の一編で「何か」が起こるのだ!と勝手に決め付けて読んでしまっていました。
 でも、そんな大仕掛けはありませんでした。
 そういう意味の「素直に読めば良かった」です。深読みせず読むべきでした。

 とはいえ、逆に地球が滅亡しようとしているのに大仕掛けがない、というのもなかなか大胆な書き方です。
 病気でも老衰でもないけれども、確実な死。

 この作品の面白い部分は、滅亡を前にしたパニックを描いていないこと。
 おそらく凄惨な事件は数々起きているだろうことは、ちょいちょい仄めかされているんですが、あくまでそれは道具立てに過ぎず、主題は「死を受け入れた生」ということになると思います。

 興味深い企みだとは思いますが、正直もう少し突っ込んで欲しい気も。
 今は、地球が滅亡しなくたって、いつか必ず来る「死」を日々強く意識している人も多くいる時代だと思いますので。

 お気に入り度=☆☆☆
 
 読後感はよかったです。さわやか。

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青春の裏側にある若者の痛々しさと成長。 『凍りのくじら』 感想

4062762005 凍りのくじら (講談社文庫)
辻村 深月
講談社 2008-11-14

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 辻村深月さんの著作は、惹かれるタイトルの作品が多いので気になっていました。
 ということで本作『凍りのくじら』を手にしてみました。

 正直、読み始めは、主人公・理帆子の性格が鼻に付いてしまって、読むのがキツかったです。
 表面上は周りの人たちとうまくやっているのですが、その人たちを少し見下しているんですね。(あからさまではないんですが、そのあからさまではないのが逆にすごく鼻に付くんです)
 私だけは本質に気付いている。みたいなそんな態度。

 でも、途中から様子が変わってきました。
 理帆子の元彼・若尾の登場です。 
 若尾が登場してからは俄然おもしろくなってきました。

 若尾はホントダメなヤツなんです。
 プライドは高いし、元彼女(理帆子)に依存するし。司法試験を受けるとか言いながら勉強してる様子はないし。
 で、全てのイヤなことは周りのせいにする。
 なんて共感できるヤツなんだ!
 まるで、自分の若き日の痛々しさを見てるようです。

 でも、理帆子は若尾とすでに別れているにも関わらず、交流を持ち続けちゃうんですね。
 まだ好きだから、という理由ではなく、若尾がダメになって行くのを見たいから、なんて理由で。

 結局、理帆子自身もそんな自分のイヤな部分に気づいていて、だからこそ若尾との関係を完全に切ることができなかった。
 それがある不幸を呼び込んでしまう、と。

 文章に関しては少々冗長なところがあるのですが、(「別所」の描写なんか”嫌みのない””とらえどころのない”ばっかりです。)丹念に心情が書き込まれているので、理帆子の心の揺らぎと成長が感じ取れて、これはこれでいいのかな、と。
 最終的には鼻に付く感じもなくなって、読後感は晴れやかですしね。
  
 お気に入り度=☆☆☆+α

 プロローグは正直言って、必要なかったと思うんですよ。
(プロローグでは、物語のその後が描写されています)
 せっかく緊張感のある物語展開なのに、このプロローグがあるせいかハッピーエンドに着地することがわかってしまう。 
 ※ハッピーエンドは好きなのですが、「もしかしてバッドエンドもありえるかも」とドキドキさせて欲しいのです。

 また、エピローグが大変美しかったので、その後がどうなったかは読者の想像に委ねて欲しかった。

 そういった部分で、「惜しい」といった印象が拭えませんでした。

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この世界にもっと浸らせて欲しい。 『雷の季節の終わりに』 感想

4048737414 雷の季節の終わりに
恒川 光太郎
角川書店 2006-11

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 第12回ホラー小説大賞において『夜市 (角川ホラー文庫)』でセンセーショナルなデビューを飾った恒川光太郎さんの二作目です。

 恒川光太郎作品は、日本人の記憶の中にある風景を思わせる独特の世界が舞台であることが多いのですが、本作も同様です。

 本作で舞台になるのは「穏(オン)」という伝統ある田舎町の風合いを持つ土地です。
 「穏」で育てられた賢也は、ある日秘密を知り、それを知ったが為「穏」を出て行かなければならない状況に陥る。
 そして、外の世界では新たな戦いが始まる。
 という話です。

 凡庸な物語になる危険性を含む設定が多いのにも関わらず、そうならないのは表現力が優れているからかと。 
 文章は相変わらず流麗。
 書き込みすぎず、ちょうど想像力を膨らませるのにベストな状態に抑制されているという感じです。
 リズム感や語感が卓越しているのだと思います。

 でも、物語的には少し物足りなさを感じてしまいました。

『夜市』では、後半の展開で見せた構成力によってすばらしい物語が展開されました。
 本作でももちろん同様の驚きを期待するところです。
 ですが、前半部で提示された数々の謎や伏線、それらがどう回収されるのかワクワクして読み進めましたが、残念ながら期待を膨らませすぎていたようです。
 ひとつひとつが物足りない。

 リーダビリティが高いことの代償なのかもしれません。
 この倍くらいのボリュームで書き込んで欲しかったです。
 特に”ナギヒサ”や”トバムネキ”に関しては、物足りなさ過ぎます。
 せっかくナイスな悪者なのに。
 
 お気に入り度=☆☆☆☆

「穏」「風わいわい」といった造語に代表される言語感覚がすばらしいのは言うまでもありません。
 だからこそ量的に足りない!もっと味わせて欲しかった!

 でも、面白いか面白くないか、と言われると面白かったです。

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傍観者はヒーローになれない。 『隣の家の少女』 感想

459402534X 隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)
Jack Ketchum 金子 浩
扶桑社 1998-07

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『地下室の箱』を読んでも、あまりピンとこなかったので、ケッチャム作品の中でも評判の良い本作『隣の家の少女』にチャレンジです。

 主人公(デイヴィッド)の隣の家には3兄弟とその母(ルース)が住んでおり、その家に両親を亡くした姉妹(メグ・スーザン)が引き取られる。
 しかし、ある日を境に姉妹への虐待が始まる。そしてエスカレートする暴力行為。メグとスーザンはどうなってしまうのか?といったストーリーです。

 主題が少女虐待なので、褒めるのには抵抗がありますが、あくまで作品の評価として言わせて頂ければ、『地下室の箱』に比べてかなり良いと思います。

 実は『地下室の箱』では、被害者がどんなに酷い目に遭っても「まあ、結局フィクションだしね」という感覚がぬぐえなかったのです。
 ですが、本作『隣の家の少女』を読んでいるときは、まるで本当にあった事件の後日談を読んでいるような気持ちになりました。

 なぜだろうかと考えたところ、視点の置き方の絶妙さが良いのかな、と。

 主人公の立場は被害者でもなく加害者でもなく「基本的には」傍観者であります。
 で、もちろん読者ってのは、完全に物語の傍観者であります。
 ということで、主人公の視点が、だんだん読んでいる自分の視点かのように錯覚して、虐待の描写が生々しく感じるんですね。

 でも、主人公に対して感情移入しているというのに、突然主人公が「虐待されているメグが悪いんじゃないの」みたいな立場を取ったりするんです。
 それが、この作品の怖いところです。
 主人公とリンクしている読者(私)は どう考えてもメグが悪くないのを分かっているのに、主人公と同様にメグに対してちょっと苛立ちを感じたりしちゃうんです。
 
 もうひとつ構成が上手いと思ったのが、それまで虐待の描写を執拗に書き込んできたのに、「最も酷い虐待」に関しては、仄めかすだけで記述しないのです。
 そんなことされたら、読者である石之介は、「最も酷い虐待」を想像しちゃって心の傷が出来てしまいますよ。

 〜以降、ネタバレあります〜

 結局、最後にはメグは壮絶な死を迎えてしまいます。
 で、さらにその直後に主人公は「みんなの目の前で、でも誰にも気づかれずに」ルースを殺してしまいます。

 メグのための復讐でしょうか。「メグを助けられなかった」自分のための復讐でしょうか。
 でも、そのシーンを読んで、石之介は正直言ってスカッとしてしまいました。
 人は、人を殺してスカッとしてはいけないんです。絶対。
 なのに、そういう気持ちにさせられたこともこの作品の恐ろしさの一つだと思います。

 お気に入り度=☆☆☆☆

 確かに「心に残る作品」ではありますが、読まなくてもいい作品かもしれませんね。2~3日くらいの間、ネガティブになると思います。

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人間という種にとっての天敵とは 『バースト・ゾーン―爆裂地区』 感想

4150309205 バースト・ゾーン―爆裂地区 (ハヤカワ文庫JA)
吉村 萬壱
早川書房 2008-04

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 吉村萬壱はスッと頭に入ってくる文章で、グチャグチャなものを描く作家さんです。
 読み終わったあとは心に傷を残してくれること請け合いです。

 で、本書「バーストゾーン」です。
 
 舞台となる国(日本っぽい)の民衆たちは、「テロリン」という過激派によって緊迫した生活を強いられています。
 一方、「テロリン」の本拠地とされる大陸に派遣される志願兵たち。
 大陸に向かう船で繰り広げられる狂宴は一体なんのために行なわれているのか?
 「テロリン」の正体とは一体? 「テロリン」を殲滅する究極兵器「神充」とは?
 と言ったストーリーです。

 基本的に吉村萬壱的なエログロな場面の連続ですが、サディスティックな願望を満たすために書かれたもの、と解釈するにはもったいない作品です。
 暴力描写は「人間を人間としているものとは」という問いに対しての答えを探すための、道具立てなのだと石之介は思っています。
 
 死や暴力によって、登場する人たちはどんどん人間性を否定されます。
 でも最終的には精神的な否定を身に着けたもののみが生き残る、という物語になっています。
(登場人物は人間的な行動をしようもんなら殺されちゃいます。)
  

☆☆☆☆以下、ネタバレあります。☆☆☆☆

 実は「テロリン」なんてものは存在しません。
 大陸に存在するのは「神充」という謎の生き物だけなのです。それを国民は知らされていません。
 主人公たちがいる国以外の国は「神充」によって滅ぼされています。
 「神充」は人間を嫌います。人間が頭の中に持つ「意味性」を嫌います。だから人間の脳みそを吸って排泄して、滅ぼすのです。

 で、なぜこの国だけが保たれているのかというと、『志願兵による犠牲』と『「テロリン」に対する憎悪/それによって発生する愛国心という強烈な意味性』によって神充の侵略を防いでいるからなんですね。政府によって。
 強烈な意味性は「神充」にとって毒なのです。

 という仕掛けがこの物語にはあります。SF的ですね。

 神充という存在は人間によって決して倒すことのできない天敵として描かれています。
 そういわれると、人間にとって天敵と呼べる生物がいませんね。
 だから、もし天敵が現れたら、といったことを考えた場合、この国が取っている政策はとても非人間的なものでありますが、生存戦略としては優れているのです。(他の国は失敗しているから)

 で、「神充」だけでなく、著者も文章中で言葉の意味を殺したりしています。
 
 例えば登場人物が絶望の中、愛する人の名をつぶやくが、聞いていた人間には別の意味と解釈され、さらに殺されるというシーンが、石之介が覚えているだけでも2つあります。

 1.「智代」  →  友よ との呼びかけと勘違いして、嫌悪する(殺す)
 2.「さわら(ぎ)」 → さわらないでと言われたと勘違いして、激怒する (殺す)

 これは、「自分にとっての言葉は他人にとっての言葉と同じとは限らない」という言葉によるコミュニケーションの限界を、お得意の殺戮/陵辱によって表現しているだと思います。

 あと、不思議なことがひとつありました。
 第一章ではあれほどディストピアに見えていた祖国が、大陸(第二章)を経て、大陸から帰ってくると(第三章)、ものすごーく安心感のあるところに感じるんですね。
 ※でも、結局一番残酷なシーンとして心にのこったのは、上記の「友よ…」の部分だったんですけどね。嫌悪感というか。
 脳みそ吸われるシーンより、人が人を殺すシーンの方が、描くのうまいんだよ、この人は。サイテーです(作家としては最高です。)

 お気に入り度=☆☆☆☆☆

 クチュクチュバーンと張るくらい好きかもしれない。
 暴力表現が平気な(さらに影響されない)人は是非。

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かわいいおじさんが出て来ます。  『キマイラの新しい城』 感想

4062758172 キマイラの新しい城 (講談社文庫)
殊能 将之
講談社 2007-08-11

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ハサミ男』を読んだら、殊能将之のいたずらっ子的な作品がもっと読みたいとか思ったので、本書『キマイラの新しい城』を手に取ってみました。

 ストーリーは中世の騎士「エドガー・ランペール」が現代日本に蘇って(人に乗り移って)、自分の死の真相を知ろうとする、というもの。

 エドガー・ランペール視点と三人称視点を交互に追いながら、物語は進んで行きます。
 物語を追って行くと、さらに現代でも不穏な動き。殺人事件が起きてしまいます。

 さらに、エドガー・ランペールに乗り移られた江里という男は、実は乗り移られていないんじゃないのか? 演技または思い込みなのではないか?という疑問も提示されていきます。
 つまり、エドガー・ランペールじゃない頃の江里がどのような人物であったのか、という点も謎のひとつとなります。

 まあ、そういったミステリ部分を追うのも楽しいんですが、この作品で読むべきはエドガー・ランペール視点の現代の風景。
 地名なんかは東京→トキオーン、六本木ヒルズ→ロポンギルズと中世風に。人名も石動→イスルギーなんて感じで。
 バイクや車を、奇妙な動物と思ったりするのは、ありがちといえばありがちなシーンですが、エドガーの大仰なものいいで表されるので、なんだかかわいいです。
 週刊少年ジャンプであろう書物を見つけたときは「人が素手で格闘したり、剣を交えている絵が多い。字が読めぬ者のための武芸指南書であろうか」とか言っちゃうんです。
 この読み心地は、森見登美彦作品に通じるものがあるかもです。

 三人称視点はマジメかというと、正直言って悪ふざけしてると思うんですよ。(ホメてます)
 地の文で石動のことを、「名探偵の石動戯作は」とか言っちゃってるんです。何回も。”名”は書かないですよね
普通。
 しかも名探偵って何回も言ってたのに、結局石動は解決しないんですよ、事件を。別の人が解決しますけども。

 ラストは、ちょっと切ないです。
 切なく描こうとしているわけではなさそうですが、エドガー・ランペールのことを好きになってしまったので、「ああ、そうなのか」という感じで。

 お気に入り度=☆☆☆☆

 殊能将之の別の作品も読みたくなって来ました!

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神となったカラスを見よ。 『サウンドトラック』 感想

 

4087746615 サウンドトラック
古川 日出男
集英社 2003-09by G-Tools

 

 古川日出男の文章をどうしても読みたくなってしまうことがあります。
 そんなわけで、古川節をたっぷり味わえそうなこの作品をチョイス。
 

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

2009年、ヒートアイランド化した東京。神楽坂にはアザーンが流れ、西荻窪ではガイコクジン排斥の嵐が吹き荒れていた。破壊者として、解放者として、あるいは救済者として、生き残る少年/少女たち。これは真実か夢か。『アラビアの夜の種族』の著者が放つ、衝撃の21世紀型青春小説。

 
 大変書評が書きづらい作品です。

 物語というのは性質上、ばらまかれた状況を収束するものですが、この作品は点がいっこうに線になっていかないのです。
 でも、古川日出男の文章にしびれちゃってるんで、最後まで読み切らされました。

 まず冒頭。
 無人島に放り出された幼いトウタとヒツジコ。
 幼い弱々しい生命という存在に不安を覚えてしまうけども、生き延びる二人にホッと安心。
 ルーツと言葉をなくしている(つまり社会的に人間でない)二人がどんな風に物語を紡いでいくのかと期待してしまいます。

 でも、東京編に入ってからは、二人がどうなるのか、どうしたいのかが全然わかりません。
(無目的であることを描いているのかもしれませんし、不可解でありながらも面白いことをしていたりするのですが)

 最終的にもトウタとヒツジコの物語は収束していきませんでした。
 あれほど運命的な冒頭だったのに。

 と、まあ批判的なことを書いてしまいましたが、それでもこの作品は面白かったです。

  なにしろ第三の主人公とも言えるレニが良いです。
 正確にはレニのまわりにいるキャラクターがすごく好き。

  人語を解するカラス・クロイ。
 カラスなのに、映画を見るし、人を助けるし、家族愛を感じるし、そして最後には神になる。

  あと、個人的に本作品で一番好きな、レニの映画の師匠・居貫。
 カラスに対して、真剣にサイレント映画を見せる巨体の男。

  で、性別を持たない存在・レニ。
 少女にも少年にもなれる存在。

  まあ、このレニとクロイと居貫が、侵入した体育館でサイレント映画を見るシーンなんか想像するだけで、わくわくしちゃいます。
 レニ編だけで良いから、だれかオシャレ映画撮ってくれないかな。絶対見に行きます。

 他にも魅力的なキャラクターがたくさんいます。

 トウタ編に出てくる神殿の女神・ピアス。
 ヒツジコ編に出てくる「免疫体」の3人。
 自分の妄執のためにヒツジコのお母さんになるうずめ。
 
 など、それぞれのキャラクターごとにひとつの作品が描けるんじゃないかと思うくらい、特徴的なキャラクターたち。

 魅力的な文体とキャラクターさえあれば、「ストーリーを追う」必要はないのかな、とか考えさせられました。

 ところで、東京+熱帯(+破壊)と言えば、池上 永一 『シャングリラ』を思い出してしまいましたね。
 あれも破綻している部分はあるのにパワーを保持している面白い作品でした。

 お気に入り度=☆☆☆☆

 機会があれば、もう一回読みます。
 時間とエネルギーのある時に。
 その時は五つ星をつけてしまうような気がします。

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予想外に泣けるSFでした『タイタンの妖女』 感想

4150102627 タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫 SF 262)
浅倉 久志
早川書房 2000     

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 近所の小さい図書館で発見。即借りです。
 内容はこんなです。「全能者」っていう響きが、想像をかき立てますね。

【内容紹介】
すべての時空にあまねく存在し、全能者となったウィンストン・N・ラムファードは人類救済に乗り出す。だがそのために操られた大富豪コンスタントの運命は悲惨だった。富を失い、記憶を奪われ、太陽系を星から星へと流浪する破目になるのだ! 機知に富んだウィットを駆使して、心優しきニヒリストが人類の究極の運命に果敢に挑戦した傑作!

 発行が30年前(原作は1959年出版されたようです。50年も前なんですね。)なので、さすがに文体に古さを感じるかと思いきや、そんなこともなく、とても読みやすい文章でした。
 さらに次々と舞台が変わって行く場面転換のウマさが、運命に翻弄される主人公の体験を読み手にフィードバックしてくれます。

 正直言って、最初の地球の場面では少し退屈してしまったのですが、火星に入ってからは面白くて、止まりませんでした。
 過酷な火星での生活、火星人の目的とその悲惨な結末。
 シニカルな視点で描かれる大衆。
 その後のタイタン(土星)へと至る道。

 皮肉な展開が多い中でもグッと来るシーンも多いです。ざっと思い出すだけで色々あります。
・水星でのボアズの行動
 ⇒愛は一方通行でも十分美しいんだな、とか思っちゃいました。水星での最後の一文なんかはもう切なくて切なくて。
・ラスト近くベアトリスの矜持
 ⇒「わたしを利用してくれてありがとう」あたりの会話が(泣)。それに続く息子クロノの去り方とかも(泣)。
・コンスタントの最期 
 ⇒これほど優しいエンディングはなかなか見つけられないと思います。最後の台詞にはだいぶ前にちゃんと伏線もあるし。電車で読んでたけど泣きそうになっちゃいました。

 ということで、ヴォネガットという人はものすごく優しい人なんだな、と。
 タイムクエイク (ハヤカワ文庫SF)なんかでは、人生は絶望に満ちているかのように語りますが、根底にはやはり状況を受け入れるしかない存在(=人間)への肯定を感じます。

 お気に入り度=☆☆☆☆☆

 誰かが超訳とかしてこの作品に再ブームを起こしたりしてくれないかな。

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現実の方が怖いとか、ベタなことを言ってみる。 『地下室の箱』 感想

4594031463 地下室の箱 (扶桑社ミステリー)
Jack Ketchum 金子 浩
扶桑社 2001-05 

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 読んだら後悔する系の作家、ジャック・ケッチャムの一昔前の作品です。
 じゃ、読んで後悔してやろう、という意気込みで本書を手に取りました。

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

1998年6月のニューヨーク。サラとグレッグは病院に向けて車を走らせていた。現在独身のサラは妻子あるグレッグの子供を宿していた。そして彼らが出した結論は中絶。病院の近くでサラが車を降りグレッグが駐車場所を探しに走り去った直後だった。何物かがサラを車の中に引きずり込み連れ去った。失神させられたサラが意識を取り戻したのはどこかの家の地下室。ここで彼女を待ちうけていたのは不条理で際限のない暴行だった。あの『隣の家の少女』の悪夢が再び甦る。

 あれれ、読んでてもなんだか恐怖感が湧いてこないぞ。

 なぜか、を考えてみました。

 まず、犯人側の視点が多いので、心情が記述されてしまって、主人公視点に立った場合「あいつら、何を考えてるかわからないぜ」的な恐怖を感じられないのです。
 しかもその犯人の動機などに”想像しがたい”狂気を感じることはなく、ただ暴力的なエロ野郎なのです。
 しかもところどころで手際が悪いんですよね。
(逆にそういうところがリアルなのかも?)

 もう一点。
 主人公が精神的にタフネスなところ。
 犯人側に屈してる的なことを独白していたりするのですが、なぜか生命力を感じてしまいます。
 素直なんですよね、変化して行く状況に対して。
 だから、まあ、「もしかして、大丈夫なんじゃないの」とか思っちゃったりしました。

 結末に関しては、逆に意外でした。
 胎児・自分になつく猫、など希望を匂わせるガジェットを配置しておいて、逆に絶望へのギャップを演出するのかと思いきや……。
 そうきたか。 
 まあ、スッキリしたからいいか。
 
 あと、犯人側の奥さんが、積極的な協力者であるのは、なんだかアメリカっぽいな、と。少なくとも日本的ではないな。

 
 でも、本作の発表当初(2001年)に読んだら、もっと怖かったのかもしれないと思います。
 
 ここ2、3年監禁事件とかは本当に頻繁に聞くようになったんで、そう言う意味で恐怖を感じにくくなってるのかもしれません。
 (もちろん、自分や家族がそんな状況に置かれたら恐怖であることは間違いないのですが)

 いや、ホントに怖い世の中になりました。

 お気に入り度=☆☆☆

 次は名高い『隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)』を読みたいと思います。