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理論と感情の混在 『愚者のエンドロール』 感想

愚者のエンドロール (角川スニーカー文庫) 愚者のエンドロール (角川スニーカー文庫)
米澤 穂信

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 理論攻め、理論攻めで、最終的も論理的に解決!
と思いきや感情的にはその結論には納得できず、さらに秘められた真実の存在に気づく。

 と言う終盤の畳み掛けの気持ちよさが、米澤穂信作品をつい読みたくなる理由かもしれません。

 本書は米澤穂信のデビュー作『氷菓 (角川スニーカー文庫)』の続編で「古典部シリーズ」と呼ばれているシリーズの第2編になります。

 神山高校の文化祭でミステリ映画を撮影することにした2年F組。しかし撮影中に脚本担当が参加することが出来なくなってしまった。
 撮影済みの映像からこの映画のトリックを解明するように依頼される古典部であるが……、というお話。

 米澤穂信作品には他人を突き放すような性格のキャラクターが多く登場しますが、米澤穂信は、他人に対してものすごく感情移入する人である、と石之介は勝手に思っています。

 それは本書『愚者のエンドロール』のプロットや主人公・折木奉太郎のキャラクターに表れていると思います。

『愚者のエンドロール』は「事件が起きる→解決する→めでたしめでたし」の構造そのものをハコに入れて、メタ推理モノとして描かれているわけですが、
そのメタ推理はなぜ行われなければならなかったか、という点は感情移入なしでは成立しません。
(”女帝”や主人公たちを完全に冷徹なキャラクターならば、感情移入の部分なしでも話として成立するとは思いますが……、そんな話はあまり読みたくありません)

 結局『愚者のエンドロール』では事件らしい事件は起きていないんですよね。 
 人が死なないとつまらない、とかいう過激な人は、本作では納得しないかもしれません。
 でも、推理小説において「被害者になるために出てくる登場人物」が存在せざるを得ないことに対して、少しでも嫌悪感を抱いている人は読むべきかと思います。

 お気に入り度=☆☆☆☆(5点満点中)

 シリーズものは追っていく楽しみがありますね。次も読みます。

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切なさの予感 『氷菓』 感想

氷菓 (角川スニーカー文庫) 氷菓 (角川スニーカー文庫)
米澤 穂信 

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「物事を叙述する文章というものがほとんど自動的に不幸の予感(または気配)を呼び寄せることに気づいた」と保坂和志は書きあぐねている人のための小説入門の中で語っており、保坂和志はその「不幸の予感」を感じさせないように小説をかいているらしいけども、米澤穂信の場合、「不幸の予感」をむしろ丸出しにした文体が特徴であろうかと石之介は感じています。

  で、「氷菓」です。
 神山高校古典部に入部せざるをえなかった奉太郎。そこで出会う少女・千反田えるに論理的思考力?を見込まれた奉太郎は、えるの隠された過去を”思い出させる”ため、神山高校の歴史をひもといていく、というお話です。

 メイントリックについては、驚きは少ないもののその文体も相まって非常に切ない感情を呼び起こすものになっている、と思います。

 また、高校生活で男女がせっかく(?)出会っているのに、ボーイミーツガール的要素は意図的に排除されてるように感じます。匂わせといて否定するという方法で。
 ありきたりな要素はなくそうという試みなのかもしれません。
 
 ただ、米澤作品において、時折描かれるアニメ的お約束シーンが、どうも鼻についてしまうことがあります。好みの問題なのでそういったシーンがあるからこそ好きという人の気持ちもわかりますが、石之介はそこで作品への感情移入が薄くなってしまうのです。石之介が頭の中で描いている登場人物の身体的動作となんだかマッチしないからです。これは読み手のワガママなのかもしませんが。

 お気に入り度=☆☆☆

 このシリーズは続いているようなので、読み続けるつもりです。